笑顔でいるために〜介護の話

自分だけは介護なんてものとは無縁だろうと思っていました
自分の親だけはいつまでも元気で、長生きするんだろうと思っていました

ところが。。。

ただいま、介護まっただ中

大変でしんどくて逃げ出せるものなら今すぐにでも逃げ出したいと思う事も度々
でも、いつかさよならするその時まで、とにかく後悔はしたくない

そんなしっちゃかめっちゃかな日々を綴っています

それからは家の周りを少しずつ散歩したり

散歩ついでにマンションのお掃除をして下さっている方や
住民の方達とおしゃべりをしたり

新聞も隅々まで読むし、ニュースも見るので話題も豊富だし
デイサービのスタッフさん達やケアマネさんにも人気があって

歩くのもそこそこ杖があれば、時間はかかるけど
まあ不自由ないくらいにまでは歩ける様になって

認知症かも?と心配するような事はなかった様に思います
まあ年相応の物忘れね。。。程度に思っていたのではないかと


ただひとつ気になる事といえば

いつからかは覚えていないけど、薬の管理がちゃんと出来なくなって

お薬なんとかみたいな収納ケースで、いろいろ試してみたけど
ちゃんと入ってる通りに飲めば、間違うはずがないのに足りなくなったり

どうすればわかりやすく、間違わずに飲めるのかと
試行錯誤していましたね


2011年4月頃、泌尿器科で一日分の尿を病院のでっかい容器に取って
次の日に持って行くという、検査があったのですが

父は、何を思ったのか溜めている途中で、せっかく溜めたおしっこを
トイレに流してしまって。。。。

取り直し〜って事がありました


この前後くらいだったように思いますが、気になる事が増えて来て

保険証がなくなったと役所へ再発行しに行ったり
通帳やキャッシュカードがなくなったと、銀行へ行ったり

あ、もちろん一緒に行きましたが。。。

で、通帳も保険証も大事なものは私が管理する様になりました


薬の管理は特に大変で

分包してもらうというのは、その時は思いつかず

朝・昼・夜・寝る前と、小袋に何種類もの薬を
いちいちシートから切り離して分けて作って、管理を母に頼みました

食事の度に渡してもらうことにしたのです

腰椎粉砕後の通院時に、かなり薬は減らしてもらったのですが

その中で父がこだわっていた薬に
「マイスリー」という睡眠導入剤。。。これは寝る前に母に渡してもらっていました

「デパス」という安定剤。。。これは最初は毎食後に飲んでいましたが
この当時は頓服のように眠れない時に、飲んでいたと思います

これを飲んでいるのに、もらってないと言い出し

母にもらいに行ったらくれないと、母と大げんかになったり
(母はその日の分は渡しているのでホントになかったんですけどね)

眠れないということに、とてもこだわって

「ばあさんがデパスをくれない。明日保険証もらいに行くから」と
毎晩の様に電話して来て

私も軽く受け流せばいいものを
「いや行ってもくれないよ」と真剣に相手して

「もういい!これから薬は俺がもらいに行く。お前は行かんでいい」と
喧嘩になったり。。。でも次の日にはけろっと忘れているんです

夕食後に薬を飲んでいるのに
私の仕事中にうちまで来て「薬くれんかな」と

もう、この頃のわたしは、ほんと薬の事で気が変になりそうでした

そのうち次の日には言った事忘れているんだからと

父が電話して来たら「うんわかった。明日持って行くね」と言えば
安心して電話を切るんですよね

それを毎日繰り返して。。。

で、さすがの私もおかしいなと

「物忘れ外来」に連れて行く事にした訳です






笑顔でいるために〜心にゆとりを 長男からのお土産 やっといただきました♪


 

父は2008年秋から2009年3月まで5ヶ月間、腰椎粉砕で入院していましたが
歩行器を使って歩き出したのは、二ヶ月くらい経ってからだし

それもリハビリの時間内だけ

長い入院に父の認知症が心配で、MRIを撮ってもらいました

主治医の先生からの説明は
年相応の脳の萎縮は見られるが 心配することはないとのこと

父は確定申告も病室で書いてたし、私にメールも送って来るし
心配することはないんだと安心しました

家の中でも車いすでないと歩けません、と言われて退院して二日目

デイサービスの方との面談を父宅でやっていた時に
何も持たないで家の中を歩いて横断したり(5mくらい)

退院して二ヶ月の古紙回収の日に
古紙を車いすに乗せて、自分で押しながら捨てに行ったり

父宅は3階なのでエレベーターに乗って捨てに行かないとだめなんです

エレベーターまでには3段の階段もあるし、距離もあるんですよね

なんて無謀な(゚∇゚ ;)エッ!?

家の中では、いろんなものにつたって歩いていたようですが
まだまだ通院など、出かける時は車いすに乗せてタクシーで

病院の待合室でも父といろんな話をしましたが
心配していた認知症は大丈夫のようで、すっかり気にしなくなっていました

まあ物忘れはそれなりにあったと思いますが
MRIで大丈夫と言われたし、と言うのがあったと思います

退院して5ヶ月頃に一度熱が出て、病院へ連れて行った事があるのですが
待ち時間が長いのでしんどかったのでしょうね、何も言わないし表情もないし
車いすに乗ったままあっちこっちうろうろし出して

あまりの変わりようにびっくりして、夫に電話で応援を頼んだ事がありました

そして、退院してから半年後にヘルペスで一週間、同じ病院に入院したんですよね

退院してからは、ヘルペスの薬はちかくのかかりつけの病院でもらう事に

もらった次の日に、自分で病院へ電話して「飲み方がわからない」と

このころ「あれ?」とは思ったのですが
入院のための一時的なものかも。。。と思っていました




笑顔でいるために〜介護の話 スリムで「せいたか」タワーファン


 

それからも出来るだけ夕飯は、母達と一緒に食べて
放っておけばベットのお守りばかりの母を、出来るだけ買物に連れ出し 

それでも、みんなで一緒に夕飯を食べて私たちが帰ろうとしたら
「あんたたち、ごはんは食べたの?」って聞いたり

デイの日なのに曜日を勘違いして
「今日は行かなくていいのよね」と電話して来たり

髪につけるヘアクリームを石けんと間違えて手を洗ったり

薬の飲み忘れが目立って来たり

パーマに行きたいと言うから、タクシーで行ったら
降りたとたん「私。どこへ行くの?」


物忘れ外来で母の状態を説明すると

アルツハイマー型の中期なので、はやく介護度上げて
デイをたくさん利用出来る様に

寝てばっかりが一番悪い状態ですと 言われ
父に続いて、母も要介護度の区分変更申請 をしました

2月、3月の初めと寒い頃はベットに寝てばかりで
電話やメールで何回もコンタクト取っても

朝も昼も食べてなかったり薬も飲んでなかったり
「お父さんは食べたの?」って聞いたら「知らん」って

結局2人とも何も食べてなかったりで、まだまだ夕飯は一緒に

でも、母が出来ることは任せる様にして
ご飯は母に炊いてもらうとか おかずは私が作って行くとか

この間ショートステイデビューもしたり

で、 要支援2だったのが要介護1になって
デイサービスも週2回だったのが3回行く様になって

暖かくなったのも手伝って、行動的になって来て
洗濯をしたり、食洗機で食器を洗ったり、自分で出来る家事をする様になりました

だんだんと私たちも一緒に食事をする事が減って行き
買って来たものを冷蔵庫につけたホワイトボードに書いておけば

以前はそれすらも忘れていたのに、冷蔵庫を確認して何が入っているかも
理解出来る様になり、お昼の残りの○○があるからとか

大事な事はレッスン中で悪いけど忘れるからと
留守電に入れていたり、紙に書いたり

どんどん元気になって行きました

ま、買物行ってお昼にってドーナツ買ったのに
す〜かり忘れて天丼がカートに入ってたりもありますけどね

あ、それは私もあるか('▽'*)ニパッ♪



笑顔でいるために~心にゆとりを お金もらってダイエットの夫


 

冬に向かって、寒いから起きたくないわと
なかなかベットから出ない母も、デイサービスは楽しいらしく

週に二度のデイサービスを休む事なく行っていました

物忘れ外来に行く二ヶ月ほど前に、この鍵事件は起こったのです
 
母はデイサービスから16時頃帰って来ます

その日も「そろそろかな」って思っていたら
デイサービスから我が家へ電話がΣ(°Д°;

「今お母様を送って行ったのですが
鍵が違うとかで入れないそうなんです」とのこと

家の前で待ってるとのことなので
すぐ行きますと伝えて、夫が走ってくれました

実は、この鍵事件、もう二回ほど起こっていて(´;ェ;`)

私がデイサービスの日の朝、母の家で送りだすようになって
母が鍵を持って行くのを忘れて入れなくて、夫が走るという
(いつも走るのは夫みたいですが・・・笑)

こりゃいかんと
デイサービス用に「合いカギ」を作って

デイサービスに、必ず持って行く袋に
鍵を入れた袋を取りつけて持たせるようにしました

なので間違えるはずもなく・・・

もしかして鍵穴が古くなって
鍵が入りにくくなっていたので それでかな?

なんて思っていると
走って行ってくれた夫が、 母んちから電話をしてきて

「家の前にも家の中にも、誰もいないよ」って(゚ロ゚;)エェッ!?

えええ~~~!母はどこへ消えたの?
まさか、またデイサービスに戻った?

バルコニーから母んちが見えるので、のぞいたら
母んちの棟の横に、デイサービスの車がまだ止まっている

夫はまた下へ降りて車を見てくれたけど
だ~れも乗ってないって

私はデイサービスに電話をして、どこにもいないことを伝え
お家で待っててくださいと言われたので、夫に伝え

またまた夫は母んちへ戻ってくれて
その間に私も母んちへ走って
 
母んちはマンション5階建ての3階で
ちょうど私がついた頃にデイの方も母も夫も、みんな勢ぞろいで

あらあらどちらに?

ど~もスタッフさんが階を間違えたようで
ずっと5階で待っておられたそうな

そりゃ、他人さんち、開くわけがない

すみませんと何度も謝ってくださって

いやいや。。
お母さん、あなたも気付こうよ

確かにマンションなので造りは同じ
でも、3階と5階では全然、見晴らしがちがうよ?

車椅子に座ってるから解らなかったのかな

がちゃがちゃ他人さんのお家の鍵を開けて

留守だったようで、それが良かったのか悪かったのか
わかりませんが(*´д`)=з



今思えばやっぱり自分ちを間違えるなんて。。。

それも結構長い時間その場にいたんだから、いつかは思い出しそうなもの 


この後にもデイ専用の鍵を作っているのに 
なぜか「入ってませ〜ん」って電話がかかってくることもあり

今では、必ず朝スタッフさんが鍵を確認してくださいます 

あれ?とは思いながらも、それっきりなので笑い話で済ませてましたね
 




笑顔でいるために~心にゆとりを レッスン夏休み〜♪ なのに。。。 

母の物忘れが気になり出したころ
母自身も、最近よく忘れるわなんて言ってたので

父のことでお世話になっている「ものわすれ外来」に行ってみる?
って、言った事があります

調べて、何でもなかったらそれでいいしと言って行く様に誘いましたが
私は何でもない事はないだろうなとは思っていましたけど

早く受診したら、薬で止められると聞いていました
父はもうそのレベルではなく、今の状態をキープ出来ればいいくらいでした

その時は母もそうだねと言っていたので
早ければ止められるかもと期待していました

ところが「もう予約した?まだだったら行かないわ
最近物忘れなくなってきたから」と拒否されてしまったのです

これって、ほんとに難しい

鬱も持っている母に
「いやいや物忘れしてるよ、気になるから行こうよ」と無理矢理誘って
「え?私認知証かも?」なんてどんどん落ち込まれても困るんですよね

早く行けば止められるってどのタイミング?
ほんとに初期は本人はまだまだしっかりしてるんだよね

そういうときどうやって病院に連れて行くんだろう

風邪かも。。。とか
リハビリついでに整形で。。。とはいかないんですよね

行く先が「脳神経外科」とか「脳神経内科」とかじゃないですか

絶対に、本人は何しに行ってるかわかっちゃう

で、行かないと言った母を前にとりあえず先送りになっちゃったんです

冬に向かって寒くなるので
母は時間があればベットに入る様になり

父の食事の用意だけをテーブルに置いて
自分は食べたくないからとさっさと部屋に入り込む

私も気になりつつ、クリスマスの日に行われる
生徒さん達のピアノ発表会を前に、身動き取れず

買物を一緒に、タクシーで行ってやるのが精一杯だったような気がします

それを知った夫が、出来るだけ一緒に夕飯を食べようと言うので
仕事のない日の夕飯を最初は買って来て、一緒に食べていたのを

総菜ばかりじゃね、と出来るだけ作る様になり

日曜だけじゃね、と夫が先に作ったものを届けて
私は、仕事が終わったら走って母んちへ行く

発表会前の忙しい時も、やれば出来るので

ほんとこれは不思議なんだけど

いっぱいいっぱいで、どこにもそれ以上入らんでしょ
って思うのに、何故か出来るんですよね

その分何かが犠牲になってたんでしょうけどね

夫が気持ちよくやってくれるので、言えませんでしたけど

ほんと、しんどかったです(笑い)

で、私と夫がなんでもやっちゃうので、母はお客さんになってたんですね

足が悪いので歩きづらそうなので、食事の準備も
足が痛くて立ってるのがつらい母のために、後片付けも出来るだけしなくていいようにって

発表会も無事終って、お正月も迎えられて

母がこんなですから、父の薬の飲み忘れが目立って来たり
(母が渡さないと自分では飲めません)
ちょっと認知が進んで来たような気がするのでと、要介護度の区分変更をして

当然母の薬の飲み忘れもあり
もうほんとに一日ベットにいる母がとても気になって

一日に何回も電話して「あれしといてね」「したよ」
「薬を忘れない様にね」「飲んだよ」
「注射した?」「したよ」

でもしてなかったり、飲んでなかったり('A`|||)

で、母に内緒で「物忘れ外来」に予約を入れたんです

なんて言って連れていこうかと悩んでいたら意外とすんなりOKして

やっと、物忘れ外来に連れて行きMRIを撮って
「アルツハイマー型認知症 初期ではありません」 と言われた訳です

2013年 1月中旬でした

長男がつくばへ行って、もうすぐ一年と言う時でした







 

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