笑顔でいるために〜介護の話

自分だけは介護なんてものとは無縁だろうと思っていました
自分の親だけはいつまでも元気で、長生きするんだろうと思っていました

ところが。。。

ただいま、介護まっただ中

大変でしんどくて逃げ出せるものなら今すぐにでも逃げ出したいと思う事も度々
でも、いつかさよならするその時まで、とにかく後悔はしたくない

そんなしっちゃかめっちゃかな日々を綴っています

父は、4年前腰椎粉砕で歩行困難になって
要介護認定の申請を行った時からずっと要介護2でした 


****************

要介護認定を申請すると、介護認定審査会の審査結果に基づいて

日常生活に見守りや支援を必要とする「要支援1~2」

日常生活において介護を必要とする「要介護1~5」
分けて判定されます

要介護認定には有効期間があり、新規の場合は6カ月、
更新の場合は市町村によって1~2年となります。

有効期間内であっても、心身の状況が大きく変わったときなどには、
いつでも要介護度の区分変更申請が行えます。

*******************

父は、去年の暮れあたりから薬の飲み忘れが目立ってきたり
(これは、父の薬の世話をしていた母にも原因があるのですが)

食事にも支障が出てきたり、部屋の中で良く転ぶ様になったり 

物忘れ外来の先生には毎回
「デイを増やして出来れば毎日でも行った方が良いです」
って言われるのですが・・・

要介護度によって
1カ月に利用できる介護保険のサービスの上限額は決められていて

それを超えてサービスを利用すると
上限を超えた分は1割負担ではなく、全額自己負担となってしまうんですよね

「要介護2」では週3回のデイ利用しか出来なくて
ケアマネさんと相談して、ちょうど今年の一月頃に区分変更申請をすることにしたんです

主治医に意見書の作成を依頼し

市役所の高齢介護課の職員さんが認定調査に来られ
私ももちろん同席していますが、いろいろ父に質問されます
 
いろいろな質問に、普段出来てないことも
こういう時って本人は出来てる様に答えるんですよね笑

丁度私と父と並んで
向かいに市役所の方が座られたので

父は「出来ますよ」って言ってる横で
私が「ううん、ちゃうちゃう」と首を横にふったりして(ノε`*)ンププ

帰られる時に外で認知症の事についてなど
本人に聞けないことなどを話しさせてもらいました

要介護度の認定は
この調査書や、主治医の意見書などが判定基準となって
介護認定審査委員会によって、申請から約1カ月ぐらいで行われるそうです

そして、一ヶ月後くらいに申請が認められて、父は「要介護3」になりました

なので、今まで週3回だったデイを4回に増やしたり
母の病院行きなど、必要に応じてデイを増やしたり出来る様になりました

その他にもお布団の丸洗いサービスとか 
紙パンツの給付券がもらえたり受けられるサービスが増えました

病気が進むという点では喜ぶ事ではないのですが

やはり受けられるサービスが増えると
介護者としては随分助かる部分もあり、ちょっと複雑ですけどね


2012年3月頃 

母の病院付き添いがどっと増え、私も一杯一杯になって来たのと

母も出来るだけ出来る事をしようと

この頃は、整形のリハビリや歯科など
先生の説明を一緒に聞くことがあまり必要でない所は
一人でタクシーを利用して行っていましたが

タクシーの乗り降りも結構大変なので
気になるしで

介護保険の申請をすることにしました


変形性膝関節症で膝の痛みで治療を続けていた母は
整形の先生からも申請したらと、ずっと言われていたのですが

まだ一人で大丈夫なのでいいですと言っていた ようで。。。

でも、関節リューマチも発症して、ますます歩きづらくなって
やっぱり 申請するわと言うので

父のケアマネージャーさんに 手続きをしていただきました 

市役所の高齢介護課の方が、聞き取り調査に来られ
それと、主治医の意見書などとで判断して介護度が決まります

サービスはいろいろありますが
私たちが一番受けたかったのが、介護タクシーの利用で

運転手の方は、介護福祉士や
ホームヘルパー2級の資格を持っておられ

玄関まで迎えに来てくださり、病院の受付まで送って
帰りは受付から自宅の玄関まで、送ってくださいます

利用料はタクシー往復よりちょっと安いくらいです


金額もそうですが、
家から家を安心して送迎していただけるのは、とても安心で

私も、これで すこしは楽になり
母も私にすまないな~と気兼ねせず
サービスを利用できるので、ほっとしました("▽"*) 


介護保険の申請をしてからちょうど一ヵ月経った頃、介護認定が下りました

「要介護」で下りると良いねって言ってたのですが
結果は「要支援2」でした

 
「要支援」で使えるサービスは

* 住宅改修費(たとえば手すりなどを付ける)は
  一生涯に20万円までで 1割負担

* お風呂の椅子など介護用品を購入する時は
  1年に10万円までで 1割負担
  これは1年ごとに使った金額がチャラになって
  毎年10万円まで1割負担で使える

* デイサービスを利用するとかベットを借りるとか
  お掃除に来てもらうとか(訪問介護)の
  サービスを受ける時は、1ヵ月限度額10400円の1割負担
  越えた場合は実費


新規の認定期間は半年なので
また半年後に更新の手続きをしなければなりません

その後は1年ごとに更新です

その当時、父が「要介護2」でしたので、すでにトイレの中やろうかなどには
住宅改修のサービスを使って手すりがつけてあります

母はその手すりを使ったり
テーブルを伝ったりして家の中を移動しています

その後玄関にも、これは母の介護保険を使ってですが
手すりをつけました
 
年寄り二人暮らしなので、怪我のないように願うばかりです


東大阪に
できものの神様で有名な石切り神社があります

1月の終わりころ
私はいつも一年の無事を祈祷していただきに、この石切り神社へ行きます

1月の終わりころと言うのは
この頃にならないと すごい人だからです

年々お参りに訪れる方が増えています

21~2年ほど前
ドリマトーン(電子オルガン)の先生が、子宮筋腫と診断され
かなり大きいので手術だと言われたそうで

先生は忙しい方なので、なんとか手術は避けたいと
違う病院を受診したそうです

その検査の日
生徒仲間の一人である、私の友達のKさんが

できものの神様で有名とのことで
ちょうど先生が検査を受けている時間帯に
(時間帯が一緒だと言うのは、あとで分かった事だそうです)
石切りさんで祈祷をしていただいたそうです

先生は検査結果
「手術は必要ありません 様子をみましょう」と言われたそうで

両極端の病院の診断でしたが
迷わず後者を選び、手術はされませんでした

あれから20何年特に何事もなく
先生はお元気です

その1~2年後に
母が昨日の記事にも書きましたが「わき下腫瘍摘出手術」をしました

取りだした腫瘍は悪性で
抗がん剤治療をしますと 病院で説明を受け
父も私たち姉妹もショックでした

ただ白血球だか何だかが少ないので、増えるまで治療が出来ず
念の為 腫瘍もどこだかに検査に出されて結果を待っている状態でした

その時、藁にもすがりたい私は、先生の一件を思い出し
当時まだ小学生だった子どもたちや妹と
石切りさんへ祈祷してもらいに行って、お百度参りをしたり

何度も何度も石切りさんに通いました

そのうちふと

母の名前は戸籍は「カタカナ」なんですが、通称で漢字を使っていて
ずっと祈祷してもらう時に、漢字で名前を書いていたことに気が付いて

戸籍通りその日はカタカナで書いて祈祷してもらいました

そしたら 病院から連絡が
 
検査結果が帰ってきて
悪性だと言われていた腫瘍は良性だったので
抗がん剤治療は必要なくなったとのこと

母はそれから今もずっと
毎月石切りさんに月参りに行きます

膝が悪いのでとっても歩きづらいのに
石切りさんへの道は苦痛ではないのだそうです

私は困った時の石切りさん頼みで
受験とか厄払いとか、何かあるときだけで・・・ごめんなさい

でも一年みんなが仲良く健康でありますようにと
毎年、祈祷してもらいに行きます

ちょっと、ふしぎ~なお話でした 



私が独身の頃は、母は病気という病気をほとんどしたことがなくて
私と同じで、風邪をひいても寝込む事など皆無でした

私が結婚してからは、父と妹と、時には妹と2人で
国内から海外までよく旅行を楽しんでいました


ところが、いまから22年前1991年、母が62歳の時に市の検診か何かで引っかかって
結局取って調べないとわからないと「子宮摘出手術」を受けたのが始まりで

ちょうど、今のマンションに私たちと引っ越して来て、2年くらい経った頃でした

それから2年後1993年、64歳の時には「左わき下腫瘍摘出手術」を
この時は最初悪性だと言われ、なかなか受け入れられなかったのが
検査に出されていたら、良性だと言う事でとても喜んだものです


そしてまた2年後1995年、今から18年前に膠原病の一つ
「全身性エリテマトーデス(SLE)」を発症し、現在も治療中です

全身性エリテマトーデスは
全身の臓器に原因不明の炎症が起こる自己免疫疾患の一種で

自己免疫疾患とは
異物を認識し排除するための役割を持つ免疫系が、
自分自身の正常な細胞や組織に対してまで過剰に反応し
攻撃を加えてしまうことで症状を来す疾患の総称です。
                       Wikipediaより


その治療の為に入院をし、今もステロイドを飲んでいます
このお薬は終生服用しつづけなければならないようです

そしてこの膠原病が関わって
2002年に狭心症のカテーテル治療をしたり

大動脈狭窄症で弁置換術を、狭心症で冠動脈バイパス手術を
2006年6月、母が77歳の時に7時間ほどかけてやることになるのです

弁置換術で人工弁が入っているので
身体障害者1級になり障害者手帳を持つ事になりました

開胸手術なので、胸の真ん中の大きな骨を切断するので
ちょっと襟ぐりの大きな服を着ると、手術の跡がうっすらと見えます

父はこの手術の時に、とても心配しましたが
母はこの頃まで、すごく前向きな人でしたので

仕方ないやん
やらないとあかんもんは。。みたいな

現実を受け入れて大手術に挑みました

でも、この手術はほんとに大変で
麻酔も私たちがいる頃までにはさめなかったので

次の日の朝一番のICUの面会に間に合う様に
1時間かかる病院へ走ったものです

ICUの面会って5分ほどなんですよね

それが一日3回あるのですが
1回目の面会が終って家に帰り、家事をして
二回目の面会に行って帰って、三回目の面会に行って

仕事は今よりもっと忙しかったので
どういうスケジュールでやっていたかは憶えてないけど

片道1時間の病院へ、一日3回面会に行ってました

というのも母が参ってしまっていて
こんなにしんどいのなら手術やらなきゃよかったって

動けないから仕方ないけど、動けるならその窓から飛び降りたいって

あんなに気弱な母を見たのは初めてだったので
時間の許す限り行ってやりたいと思ったのでしょうね

まあ、夫は会社に行ってましたし
息子達は大学生でしたので、まだ自由に動けていたからかもしれません

次男の大学から自宅に帰るのに、ちょっと回り道をするところに
病院がありましたので、よく帰りに病院へ寄ってくれました

ICUから普通病棟に移った時に、家族さんに泊まって欲しいと言われた時は
夫が会社から病院へ来てくれて泊まってくれたり

父も77でしたが、食事の事とかも
自分で買って来たりしてやってくれていたので
母の事に専念出来ていました

土日はうちに来てもらって一緒に食べたり
していましたね、そういえば

でも、これまでも何回も母は入院・手術をしてきたのですが
その度に父は自分の身の回りの事もちゃんとやっていたのですが

この心臓の時は、夕飯を届けに行ったら
「何もする気がおこらん」と言って玄関に座り込んでいる時がありました

この手術のあと母は鬱病になったり、関節リューマチを発症したりで

ほんとに母が「なんで私ばっかり病気するんやろ」と言うくらい
大きな病気が続きました

母がこんなでしたから、私は母の病院付き添いばかりで
父は自分一人で京都の病院も、近所の病院も行ってましたので

私は父がどの病院に通院しているのかも
どんな薬を飲んでいるのかも全く知りませんでした

この2年後に腰椎粉砕で入院するまでは。。。

病気のオンパレードみたいになってますよね

もう、これ以上何も起こらないで〜('д` ;)




 

父はもう70をとっくに越えていたと思いますが
自分で携帯の契約をしてきて、メールもやっていました

5年前の腰椎粉砕の入院の時も
病室から携帯で電話をかけてきていました

そのあと認知症状になってからは「みまもりケータイ」に変えて
それからかけて来てたのですが

みまもりケータイは私にしかかけることが出来ないので
だんだん使わなくなり、いまでは固定電話もあやしくなって来ています


これは2011年 二年ほど前の父のエピソードです

*************************

夕方父から、我が家の固定電話に電話が
母なら携帯にかけて来るので、固定電話は大抵父からです

携帯だとブルートゥースが使え、両手フリーになってイライラしなくて話しが出来るので
日頃から携帯にかけて来てねと言っているのですが
なぜか父は、固定電話でかけてきます

なので、私はその電話は無視してすぐ携帯にかけ直していました

父の携帯にかけたのに、出て来たのは母・・・ん???

「あれ?お父さんは?」

「いはらへんよ」

「今電話かけて来てたやん」

「い~や~、ちょっと前に外いかはったよ」

・・・・・・
父は瞬間移動でもしたんかいな
とバルコニーから下をのぞいてみたら

なんと、そこには

子機を持って、にこにこしながら、こっち向いてる父の姿が Σ(°д°lll)ガーン

へ~ 子機で外からでも通じるんや~
って感心してる場合ではなく

外行く時は子機ではなく携帯持って行ってね

おとうさん  (*^_^*)A


***********************

今は子機で電話がかけられなくなって
親機の短縮でしかかけれなくなってしまいました

今夜も何回も電話して来て
「どうしたの?」と聞くと

「お前の所に電話かけようとしたけどかからん」って

「今かかってるよ」

「ほんまか。まああとでまたかけるわ」って

何の用事かち~っともわかりません。。。苦笑

このページのトップヘ