笑顔でいるために〜介護の話

自分だけは介護なんてものとは無縁だろうと思っていました
自分の親だけはいつまでも元気で、長生きするんだろうと思っていました

ところが。。。

ただいま、介護まっただ中

大変でしんどくて逃げ出せるものなら今すぐにでも逃げ出したいと思う事も度々
でも、いつかさよならするその時まで、とにかく後悔はしたくない

そんなしっちゃかめっちゃかな日々を綴っています

腰椎粉砕で入院中 父は
廊下の手すりで歩く練習をしたがっていましたが

看護師さんからはリハビリ以外では危険なので
絶対にやらないようにと言われるので

父は、ちょっと看護師さんがついてくれると出来るのにな~っと
言ってましたが、なかなか忙しいので無理でしょうね

なので、私が行った時に病室前の廊下を一緒に歩いたりしました

リハビリと言っても一日に30分くらいで、土日はないし
父が歩く練習をしたがる気持ちも解るし

食事の為に談話室へ行くのに手すりを伝って
いつか歩いて行くんだと、私も期待してましたから

歩きたいと思う父の気持ちに、出来るだけ答えてやりたいと思っていました

でも残念な事に退院までに自分で歩くようにはなれず
家の中でも車椅子。。。

それでもまったく歩けないのではなく
5m程は何かしら伝っていけば歩けるし

マンションで家の中はワンフロアーだし
手すりも付けたのでバリアフリーにする必要はなく

ただ、ベットからリビングを横切ってトイレに行く、4~5mほどが危ないので 
車椅子に乗ったり、車椅子をベビーカーみたいに押しながら行くという予定で

家用に車椅子をレンタルした訳でしたが
退院して二日目には車椅子は放って
何も持たずにリビングを横断Σ(°Д°; なんですと!

歩けなければ這って行けば良いからと言って
家の中ではほとんど車椅子を使わなかったので、家用は早々に返却(´・_・`)

眼科だ退院後の診察だと
夏にはヘルペスになって皮膚科と
どこに行くにも車椅子に乗せてタクシーで

(このヘルペスで再度この病院に入院したんですけどね
病棟は違いましたけど・・・)

慣れてないので手際は悪いわ
もうくったくたで笑


退院の二週間ほど前には要介護2の判定も出たので
(ケアマネは要介護3だと思ったと言っていましたが)

退院してすぐデイサービスにも週二回行き出し
そこでリハビリもしたり

歩きたい一心で、家の中からそのうち家の前の廊下を歩いて
エレベーターを使って一階に下りたり出来るようになり

これは、知らない間にしてたので
あとで知った時には、ヒヤヒヤものでしたが

退院して半年後には車椅子を返却して

7カ月後に京都駅前の病院へ 人間ドックに行った時は
電車とバスを乗り継いで、歩いて行けるようになりました

近鉄の京都駅から病院まで
私の足で5~6分の距離を歩いて行ける様になったのです

大抵は車椅子はやはり楽なので
あえて歩く練習をすることを止めてしまう人が多く
歩けなくなる人がほとんどだと聞いていました

定年してから今のマンションに越して来ましたが
父は 骨折して入院するまで ほとんど毎日のように散歩し

だんだん距離は短くはなっていましたが4~5kmは余裕で歩いていた人だったので
まさかこういうことで歩けなくなるなんて、家族誰も思ってもみませんでした

今でも、一歩がとても短いので、すごく時間はかかるし
疲れたり痛がったりもしますが
杖をついてマンションの敷地内なら一人で歩く事も出来るようになって

父の自分の足で歩きたいと思う気持ちと努力で
今の歩ける父がいますが

この歩く姿を あの時絶対歩けないって言った担当医や
リハビリの先生に見せてあげたいです

い~っぱいいる患者の一人なので
もう忘れられてるかも・・しれませんけどね( ´ ▽ ` )ノ



なが~い連載記事にお付き合いくださって
ありがとうございました♪( ´θ`)ノ



*****おしまい*****



おわび。。 あくまでも患者側の視点で書いています
病院関係の方で不愉快に思われたら、ごめんなさい 



嫌な思いも一杯したけど
ほんとに頭が下がるくらい良くして下さった方も
いらっしゃいましたよ

看護師さんよりも介護スタッフさんの方が、基本やさしかったかも

仲良くなったH江さんは
お母様も同じように介護スタッフをされているとかで

父は、毎日お風呂に入れるわけではないので
時間を見つけては足を拭きに来てくれたり

私がいない時間に話しかけに来てくれたり
どの患者さんにもきめ細やかな介護をされていました

彼女が夜勤の時は安心して帰ることが出来たし
次の日行っても汚したりすることはありませんでした

歩行器の練習から一ヵ月くらい経って
リハビリ室で平行棒で歩く練習が始まりました

片手で平行棒を持ち、もう片方で杖を持って歩いて
10mくらいは歩けるようになったかな

病院の階段を使って上り下りの練習もしたり
3段くらいですが。。。

携帯を持たせていたらメールも送れるようになって

確定申告用紙を持って来いと言うので
持って行けばちゃんと書いて、スタッフさん達がびっくりしていました

一杯話して良かった
認知症にならなくて良かったって(o^冖^o)

このころより
介護保険の申請をして、市役所の介護課の人と面談をし

介護度はまだ決まってはいませんが
福祉用具レンタル会社の人に見積もりを出してもらい

家に手すり工事が入ったり、レンタルのベットが入ったり

退院に向けて動き出しました

この入院の前年度の12月に同じマンションで
知り合いの さんから民生委員を引き継いだのですが

彼女はこの病院で看護師をしていたこともあり
病院に対する私の不満をよく聞いてもらっていました

それに対して「それはちゃんと病院に言わないとダメ」とかアドバイスしてくれ
当時彼女はケアマネをしていたので
流れ的に父のケアマネをお願いすることにしました

普通はこのケアマネさんを決めるのが大変なようで
私は全然そういうこと知らなくて

そこからは何でも彼女に相談して進めてもらったので
介護認定の手続きやデイサービスの事も、楽に進めることが出来たのです

退院を目前にしても担当医にも言われたのと同じように
リハビリの先生にも

平行棒を握って5~10mがやっとです
これ以上歩けるようにはならないと思いますと言われたので

福祉用具レンタル会社に
ベットと柵と、車椅子を二台外出用と家用をレンタルしました

この病院は自宅から近いので、またいつお世話になるかわからない
近所の人も入院するかもしれない
私たち夫婦だっていつ入院することになるかもしれない

実際このあと父も母も入院しましたから・・・(*^_^*)A

だからこそ、患者さん達が
少しでも気持ち良く安心して入院することが出来るように
気になったり思い付いたことは事は伝えて来ました

そして、入院から5カ月後の2009年3月に
車椅子に乗って父は退院しました。。。


相変わらず自分で汚れた紙パンツを自分で外すからとつなぎを着せられ
本人はストレスが生じたり

汚す度に

またぬらしたの
またよごしたの
触ったらダメ
娘さんなげくよ

などと言われるようでスタッフさんの心ない言葉に
傷ついて腹を立てていたようです

汚した本人も悪いなと思っているんですよ
好きでオムツとか紙パンツ穿いてる訳じゃないし
好きで汚してる訳じゃないし

きつく言われると、言うのが嫌になり
自分でするわい!ってなるんでしょうね

やさしい看護師さんの時は
汚したりしないんですよ。。。安心感があるからでしょうね
ほんと、わかりやすかったですよ



リハビリの先生が時間になると歩行器をもって
病室にきて歩く練習が始まります

歩行器で歩く時、最初はつま先だけで歩くんですよね

って言うよりこの時の歩行器って
まだきちんと歩けないので、椅子もついているのです

ちょうど自転車のサドルにお尻を少し乗っけて
爪先立てて、横断歩道で停まってる感じ?笑

始めて廊下を歩いた時は
ナースセンターにいた看護師さんたちが
拍手してくれて、父はちょっと照れてました

足の裏がちゃんと地について歩けるようになり
少しずつリハビリ効果も出ているようでしたが

実は父はこのリハビリの先生があまり好きではなく

やさしい良い先生だと私は思うんですけど、男の先生だからかな?笑 


このころ病院に行くと車椅子に父を乗せて、病院内を散歩するのですが

夫が外へ散歩に行ってくれて、もちろん承諾を得てですが
帰って来た後にベットの上で囲碁をやったり

時々病院内にあるローソンへ
車椅子に乗せて一緒に買い物に行ったり

お正月も病院で迎えて、元旦から熱を出して
リハビリを休まなくてはいけなかったり

一人でベットから降りないように言われているのに
着替えをロッカーから取ろうとしたり

冷蔵庫の中の物を取ろうと勝手に降りるので
何回も怒られてマットを置かれたり

マットに人が乗ると音が鳴って、看護師さんが飛んでくるんです

ナースコール押せばいいのに
押してもなかなか来ないからって
もう~わがまま(・ε´・*)ぶー

新年になってリハビリを開始した頃、担当医と面談があり

検査画像を見せられて
腰椎粉砕で骨が飛び散っているので
身体の向きを変えたりすると痛がるのは治らないだろう

痛がるので、リハビリも予定通り進んでいないようだ
このまま歩けるようになるのは難しい
車椅子を検討した方が良いと

え?家の中もですか?って聞いたら

そうですって。。。

想像もしていなかった説明にショックで、言葉も出なかった私を見て

一緒に聞いていた夫が

ちょっと待ってくれって
家族の気持ちを考えて
もうちょっと言いようがあるだろうと

退院まで出来る限り努力するから
一緒に頑張りましょうとか言えんかとヽ(`Д´)ノ

大きな声で言ったり、どなったりした訳ではないのですが
周りにいた看護師さん達も一瞬し~んって

家の中でせめて杖で生活出来るように
リハビリしてたんと違ったの?

3月14日退院の

二カ月前のことでした


リハビリ棟に移ってからは
母も時々お見舞いに来るようになって

インフルエンザや風邪の流行っている時期に
膠原病の母が肺炎にでもなったら大変なので
出来るだけ来ないようには言っていましたが

父の好きなゼリーを、重たいのに
病院の側にあるスーパーで買って持って来てくれました

一日に何回も行ったり来たりする私を、気づかってだとは思いますが
もうそんなに行かなくて良いよって母が言うんですけどね

でも高齢で個室にじっとしていたら認知症になるでしょ
そうならないために私は行って、話し相手になるんだよって

父とあんなにいっぱい話したのは、あの時くらいでしょうね(o^冖^o)

認知症の事も心配だったので
入院中にMRIを撮ってもらえないか、看護師長さんに頼んだら

リハビリ棟なので他の治療は出来ないと断られ
ちょっと納得のいかなかった私は
回診に来られた担当医にもう一度お願いしてみたら、いいですよって二つ返事で

その時の結果は
年齢なみの脳の委縮は見られるが、脳梗塞などはないですと

なんか簡単な説明でしたが
認知症の治療は今のところは必要ないということでした

相変わらず濡れたパジャマのズボンと紙オムツを
自分で脱いでベット下に置くとか置かないとか
やいやい言われながらも紙パンツに変わり

車椅子に乗ってトイレにも連れて行ってもらえるようになりました

そして、リハビリ棟に移って40日位経った頃
食事デビューをしました

ここでは三度の食事を談話室で取るのです
歩ける人は自分で杖をついたりして行き
 
歩けない人は看護師さんなりスタッフさんが
お部屋まで迎えに来てくれて、車椅子で連れて行ってくれます

同じ階の患者さんたちが集まって、おしゃべりしながら食事をします
ちょっとデイサービスでの食事の感じで、それもリハビリの一環だそうです

最初の日は夕食だけでしたが
三度の食事もそこで取るようになったら

私は、午前中に病院へ行って、いっぱいしゃべって昼食前に帰り
午後からリハビリ見学も兼ねて病院へ来て、おやつを買って行って
一緒に食べたりして、夕食になったら帰るというスタイルに

仕事の都合で夕飯を待たずに帰る時は
仕事が終って来て、寝るまでいたり

あれ?
父の付き添いやってた時仕事どうしてたんだろう?

ああ、夫と交代で帰った時にやってたわ
でも時間変更や曜日変更でいろいろ迷惑かけたな~

食事デビューやリハビリで歩行器を使って、歩く練習が始まったり
まだ病室とリハビリ室だけですけどね

この時は
退院するときは父は歩けるようになって退院するとばかり
思ってたんです、母も夫も私も。。。。

リハビリ棟の担当の看護師さんは、めっちゃくちゃやさしくて

入院棟にいた時
夜中に着物を濡らして何回も着替えさせてもらった時に
父がオムツを外すんじゃないかと言われて
「つなぎ」を買って来てくださいと言われました

私が付き添ってる限り、オムツを外してる風でもなかったけど
私だってべ~たり張り付いて見てる訳じゃないし
面倒かけて申し訳ないとも思っているので

言われる通り「つなぎ」を買って着せていました

「介護用つなぎ」は自分で服を脱ぎにくいように
ホックやファスナー部分に特殊な工夫が凝らしてある
赤ちゃんのカバーオールの様な物です

リハビリ棟のやさしい看護師さんは
小さそうだから普通のパジャマで良いよと言ってくれ
汚れたら着替えさせますからって、パジャマに着替えさせてくれました

こんな些細な事が、人間として扱ってもらってるみたいな・・
大げさですけど、嬉しかったりするんですよね

夜中に一度オムツを換えに二人組で
看護師さんとスタッフさんが来てくれるんだけど

いつだったか、たまたま目が覚めて黙って見ていたら
父は起きていたようなのに、言葉かけもなく

人によっては小さな声で「身体動かしますよ」とか
「寒いのにごめんね」とか声を掛けながら換えてくれるんだけど

その時はまるで丸太をあっちこっちに転がすみたいに、ごろんごろんって・・・
私にはそう見えただけかもしれませんが、無性に悲しくて(´;ェ;`)


リハビリ棟に移って、5日めくらいの時に
一度付き添いなしでやってみましょう、と一晩泊まらなかった事があったのですが

次の日行くと、初めて顔を合わせた看護師さんが
父が汚れたオムツを外して、ベット下に放りなげたので「つなぎ」を着せます
と言葉きつく、父が困ったチャン的に言われてかっち~~~ん

父に確かめたら、汚れて気持ちが悪かったから
着替えようと思って下に置いただけやと

ま、当然家族ですし父を信じますよ
置き方が少々荒っぽかったのかもしれませんが


その日、今後の付き添いの事などを相談するために
看護師長さんと面談があり

師長さんは、よその病院から来られたばかりで
何か困った事とか、気付いたことないかと聞かれたので

「つなぎ」の件や夜中の丸太のような扱いの件を話して
いろいろ面倒かけるかもしれないけど
高齢者の尊厳を保持してほしいとお願いしました

師長さんは、名前を言ってくださいと言われましたが
私は個人攻撃するつもりはないし、病院全体の問題だと思っているので

また、名前なんて知らんし~
暗いし顔見えへんし~
解りませんと答えておきました

紙オムツを放りなげた困ったちゃんで申し送りがされたようで
引き続き、泊まりをお願いされました。。。はいはい

そんなこんなで入院してから3週間目に、泊まりから解放されました

朝食だけはスタッフさんに食べさせてもらって
昼食と夕食を食べさせて帰るというスタイルになりました

リハビリ室でのリハビリも始まって
フラットだったベットを、まず30度あげて様子を見るのですが
30度あげると血圧が下がるらしく、思うように進まなかったり

それでも、寝たままでお風呂に入れてもらったり
散髪してもらったり

妹も時々変わって面倒見に来たり
母の病院は妹が付き添ったり
かなり身体が楽になって来ました

ま~洗濯物がハンパないので
毎日病院と行ったり来たりは変わりませんが笑

病院の相談室にソーシャルワーカーの方がいらして
介護保険の申請の相談をしましたが

どの状態の退院を望んでいるか母と相談して
報告するようにいわれました

母はせめて杖をついて家の中を動けるようになってから
退院してほしいと言うので、その旨伝えました

ベットも60度まで上がるようになり
寝たままの食事スタイルから、座って食事が出来るようになり
何を食べているのかがやっと見えるようになったようです( ´ ▽ ` )ノ

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