笑顔でいるために〜介護の話

自分だけは介護なんてものとは無縁だろうと思っていました
自分の親だけはいつまでも元気で、長生きするんだろうと思っていました

ところが。。。

ただいま、介護まっただ中

大変でしんどくて逃げ出せるものなら今すぐにでも逃げ出したいと思う事も度々
でも、いつかさよならするその時まで、とにかく後悔はしたくない

そんなしっちゃかめっちゃかな日々を綴っています

今年85歳になる父は
5年前に腰椎粉砕で5カ月入院したあと、認知症の症状が見られましたが

加齢によるものと言われていたので、何も処置をしなかったのですが
だんだん物忘れがひどくなって、本人も気にしだしたので

二年前の4月に初めて「物忘れ外来」を訪れ
MRIで「脳血管性認知症」と診断されて、脳の血流を良くする薬を飲んでいます

「脳血管性認知症」は、アルツハイマーとは違って
脳の血流が悪いことで起こる認知症だそうです

もう薬で止められるほど初期ではなく
今の状態を出来るだけ長く維持するという治療で
 
デイサービスを毎日でも利用するなどして
生活の中でフォローしてほしいと言われていました

それなのに!
あの頃は(二年前)まだ週二回しかデイサービスに行ってなくて
そのデイサービスをたま~にさぼっていました

これは、認知症と言われて5ヶ月くらいたった頃のエピソードです


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今はデイサービスに行く用意を私がして、送り出すのも私がしますが

まだ母に手伝ってもらいながら、自分で用意をしていましたので
私はほとんど、ノータッチでした 

デイサービスをさぼって、必ずあとで
「あれ? なんで行かんかったんかな~」と
行かなかった理由を忘れています   あらら

行かなかったことで一週間のリズムが崩れるので
「今日は何曜日?」かがごっちゃになって
母や私は「今日は何曜日や?」攻撃にあいます  

また腰椎粉砕で当時、要介護2の父は一人ではお風呂に入れないので
デイサービスでのみお風呂に入れてもらうので
休むとお風呂も入れません・・・・

あの頃はまだ、身体は自分で拭いては、いるようでしたが


一週間に2回しか行かないのに、2回ともさぼった時があって

そのお休み理由は 
私の出掛ける前の、くっそ忙しい時間に電話がかかってきて

「書類の整理が出来てないから休むわ」

「この間も休んだよ。なんの書類なん?帰ってからでいいやん」

 「おまえはそう言うけどな 気になるんや」

「だから、何の書類なん」

「今日デイサービスに持って行く連絡帳が見当たらんのや」

「そんなもん 忘れたって言えば他のものに書いてくれるがな」

「そう言う訳にはいかんのや
 でも、長い事行ってないから土曜日に変えてもらうわ」

「さよか」

言いだしたら聞かない父と、言い争ってる場合ではなく
私の出かける時間は刻々と迫りで、終了~~

案の定、デイサービスの日ではない時に電話で

「今度、いつ「デイ」行くんやったかいな
長い事行ってないから今日かと思って電話したら明日ですって言われた
こんがらがってしもうてな・・・」

ほら みなされ  (´・ε・`)ムー


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二年経った今は、もうこの時よりも進んで来ているので
自分でデイサービスに電話する事もありませんし

デイから帰って来たのに
行った事も忘れていることもあります

思い出しながら、まだ元気だったんじゃんお父さん

 

腰椎粉砕で入院中 父は
廊下の手すりで歩く練習をしたがっていましたが

看護師さんからはリハビリ以外では危険なので
絶対にやらないようにと言われるので

父は、ちょっと看護師さんがついてくれると出来るのにな~っと
言ってましたが、なかなか忙しいので無理でしょうね

なので、私が行った時に病室前の廊下を一緒に歩いたりしました

リハビリと言っても一日に30分くらいで、土日はないし
父が歩く練習をしたがる気持ちも解るし

食事の為に談話室へ行くのに手すりを伝って
いつか歩いて行くんだと、私も期待してましたから

歩きたいと思う父の気持ちに、出来るだけ答えてやりたいと思っていました

でも残念な事に退院までに自分で歩くようにはなれず
家の中でも車椅子。。。

それでもまったく歩けないのではなく
5m程は何かしら伝っていけば歩けるし

マンションで家の中はワンフロアーだし
手すりも付けたのでバリアフリーにする必要はなく

ただ、ベットからリビングを横切ってトイレに行く、4~5mほどが危ないので 
車椅子に乗ったり、車椅子をベビーカーみたいに押しながら行くという予定で

家用に車椅子をレンタルした訳でしたが
退院して二日目には車椅子は放って
何も持たずにリビングを横断Σ(°Д°; なんですと!

歩けなければ這って行けば良いからと言って
家の中ではほとんど車椅子を使わなかったので、家用は早々に返却(´・_・`)

眼科だ退院後の診察だと
夏にはヘルペスになって皮膚科と
どこに行くにも車椅子に乗せてタクシーで

(このヘルペスで再度この病院に入院したんですけどね
病棟は違いましたけど・・・)

慣れてないので手際は悪いわ
もうくったくたで笑


退院の二週間ほど前には要介護2の判定も出たので
(ケアマネは要介護3だと思ったと言っていましたが)

退院してすぐデイサービスにも週二回行き出し
そこでリハビリもしたり

歩きたい一心で、家の中からそのうち家の前の廊下を歩いて
エレベーターを使って一階に下りたり出来るようになり

これは、知らない間にしてたので
あとで知った時には、ヒヤヒヤものでしたが

退院して半年後には車椅子を返却して

7カ月後に京都駅前の病院へ 人間ドックに行った時は
電車とバスを乗り継いで、歩いて行けるようになりました

近鉄の京都駅から病院まで
私の足で5~6分の距離を歩いて行ける様になったのです

大抵は車椅子はやはり楽なので
あえて歩く練習をすることを止めてしまう人が多く
歩けなくなる人がほとんどだと聞いていました

定年してから今のマンションに越して来ましたが
父は 骨折して入院するまで ほとんど毎日のように散歩し

だんだん距離は短くはなっていましたが4~5kmは余裕で歩いていた人だったので
まさかこういうことで歩けなくなるなんて、家族誰も思ってもみませんでした

今でも、一歩がとても短いので、すごく時間はかかるし
疲れたり痛がったりもしますが
杖をついてマンションの敷地内なら一人で歩く事も出来るようになって

父の自分の足で歩きたいと思う気持ちと努力で
今の歩ける父がいますが

この歩く姿を あの時絶対歩けないって言った担当医や
リハビリの先生に見せてあげたいです

い~っぱいいる患者の一人なので
もう忘れられてるかも・・しれませんけどね( ´ ▽ ` )ノ



なが~い連載記事にお付き合いくださって
ありがとうございました♪( ´θ`)ノ



*****おしまい*****



おわび。。 あくまでも患者側の視点で書いています
病院関係の方で不愉快に思われたら、ごめんなさい 



嫌な思いも一杯したけど
ほんとに頭が下がるくらい良くして下さった方も
いらっしゃいましたよ

看護師さんよりも介護スタッフさんの方が、基本やさしかったかも

仲良くなったH江さんは
お母様も同じように介護スタッフをされているとかで

父は、毎日お風呂に入れるわけではないので
時間を見つけては足を拭きに来てくれたり

私がいない時間に話しかけに来てくれたり
どの患者さんにもきめ細やかな介護をされていました

彼女が夜勤の時は安心して帰ることが出来たし
次の日行っても汚したりすることはありませんでした

歩行器の練習から一ヵ月くらい経って
リハビリ室で平行棒で歩く練習が始まりました

片手で平行棒を持ち、もう片方で杖を持って歩いて
10mくらいは歩けるようになったかな

病院の階段を使って上り下りの練習もしたり
3段くらいですが。。。

携帯を持たせていたらメールも送れるようになって

確定申告用紙を持って来いと言うので
持って行けばちゃんと書いて、スタッフさん達がびっくりしていました

一杯話して良かった
認知症にならなくて良かったって(o^冖^o)

このころより
介護保険の申請をして、市役所の介護課の人と面談をし

介護度はまだ決まってはいませんが
福祉用具レンタル会社の人に見積もりを出してもらい

家に手すり工事が入ったり、レンタルのベットが入ったり

退院に向けて動き出しました

この入院の前年度の12月に同じマンションで
知り合いの さんから民生委員を引き継いだのですが

彼女はこの病院で看護師をしていたこともあり
病院に対する私の不満をよく聞いてもらっていました

それに対して「それはちゃんと病院に言わないとダメ」とかアドバイスしてくれ
当時彼女はケアマネをしていたので
流れ的に父のケアマネをお願いすることにしました

普通はこのケアマネさんを決めるのが大変なようで
私は全然そういうこと知らなくて

そこからは何でも彼女に相談して進めてもらったので
介護認定の手続きやデイサービスの事も、楽に進めることが出来たのです

退院を目前にしても担当医にも言われたのと同じように
リハビリの先生にも

平行棒を握って5~10mがやっとです
これ以上歩けるようにはならないと思いますと言われたので

福祉用具レンタル会社に
ベットと柵と、車椅子を二台外出用と家用をレンタルしました

この病院は自宅から近いので、またいつお世話になるかわからない
近所の人も入院するかもしれない
私たち夫婦だっていつ入院することになるかもしれない

実際このあと父も母も入院しましたから・・・(*^_^*)A

だからこそ、患者さん達が
少しでも気持ち良く安心して入院することが出来るように
気になったり思い付いたことは事は伝えて来ました

そして、入院から5カ月後の2009年3月に
車椅子に乗って父は退院しました。。。


相変わらず自分で汚れた紙パンツを自分で外すからとつなぎを着せられ
本人はストレスが生じたり

汚す度に

またぬらしたの
またよごしたの
触ったらダメ
娘さんなげくよ

などと言われるようでスタッフさんの心ない言葉に
傷ついて腹を立てていたようです

汚した本人も悪いなと思っているんですよ
好きでオムツとか紙パンツ穿いてる訳じゃないし
好きで汚してる訳じゃないし

きつく言われると、言うのが嫌になり
自分でするわい!ってなるんでしょうね

やさしい看護師さんの時は
汚したりしないんですよ。。。安心感があるからでしょうね
ほんと、わかりやすかったですよ



リハビリの先生が時間になると歩行器をもって
病室にきて歩く練習が始まります

歩行器で歩く時、最初はつま先だけで歩くんですよね

って言うよりこの時の歩行器って
まだきちんと歩けないので、椅子もついているのです

ちょうど自転車のサドルにお尻を少し乗っけて
爪先立てて、横断歩道で停まってる感じ?笑

始めて廊下を歩いた時は
ナースセンターにいた看護師さんたちが
拍手してくれて、父はちょっと照れてました

足の裏がちゃんと地について歩けるようになり
少しずつリハビリ効果も出ているようでしたが

実は父はこのリハビリの先生があまり好きではなく

やさしい良い先生だと私は思うんですけど、男の先生だからかな?笑 


このころ病院に行くと車椅子に父を乗せて、病院内を散歩するのですが

夫が外へ散歩に行ってくれて、もちろん承諾を得てですが
帰って来た後にベットの上で囲碁をやったり

時々病院内にあるローソンへ
車椅子に乗せて一緒に買い物に行ったり

お正月も病院で迎えて、元旦から熱を出して
リハビリを休まなくてはいけなかったり

一人でベットから降りないように言われているのに
着替えをロッカーから取ろうとしたり

冷蔵庫の中の物を取ろうと勝手に降りるので
何回も怒られてマットを置かれたり

マットに人が乗ると音が鳴って、看護師さんが飛んでくるんです

ナースコール押せばいいのに
押してもなかなか来ないからって
もう~わがまま(・ε´・*)ぶー

新年になってリハビリを開始した頃、担当医と面談があり

検査画像を見せられて
腰椎粉砕で骨が飛び散っているので
身体の向きを変えたりすると痛がるのは治らないだろう

痛がるので、リハビリも予定通り進んでいないようだ
このまま歩けるようになるのは難しい
車椅子を検討した方が良いと

え?家の中もですか?って聞いたら

そうですって。。。

想像もしていなかった説明にショックで、言葉も出なかった私を見て

一緒に聞いていた夫が

ちょっと待ってくれって
家族の気持ちを考えて
もうちょっと言いようがあるだろうと

退院まで出来る限り努力するから
一緒に頑張りましょうとか言えんかとヽ(`Д´)ノ

大きな声で言ったり、どなったりした訳ではないのですが
周りにいた看護師さん達も一瞬し~んって

家の中でせめて杖で生活出来るように
リハビリしてたんと違ったの?

3月14日退院の

二カ月前のことでした


リハビリ棟に移ってからは
母も時々お見舞いに来るようになって

インフルエンザや風邪の流行っている時期に
膠原病の母が肺炎にでもなったら大変なので
出来るだけ来ないようには言っていましたが

父の好きなゼリーを、重たいのに
病院の側にあるスーパーで買って持って来てくれました

一日に何回も行ったり来たりする私を、気づかってだとは思いますが
もうそんなに行かなくて良いよって母が言うんですけどね

でも高齢で個室にじっとしていたら認知症になるでしょ
そうならないために私は行って、話し相手になるんだよって

父とあんなにいっぱい話したのは、あの時くらいでしょうね(o^冖^o)

認知症の事も心配だったので
入院中にMRIを撮ってもらえないか、看護師長さんに頼んだら

リハビリ棟なので他の治療は出来ないと断られ
ちょっと納得のいかなかった私は
回診に来られた担当医にもう一度お願いしてみたら、いいですよって二つ返事で

その時の結果は
年齢なみの脳の委縮は見られるが、脳梗塞などはないですと

なんか簡単な説明でしたが
認知症の治療は今のところは必要ないということでした

相変わらず濡れたパジャマのズボンと紙オムツを
自分で脱いでベット下に置くとか置かないとか
やいやい言われながらも紙パンツに変わり

車椅子に乗ってトイレにも連れて行ってもらえるようになりました

そして、リハビリ棟に移って40日位経った頃
食事デビューをしました

ここでは三度の食事を談話室で取るのです
歩ける人は自分で杖をついたりして行き
 
歩けない人は看護師さんなりスタッフさんが
お部屋まで迎えに来てくれて、車椅子で連れて行ってくれます

同じ階の患者さんたちが集まって、おしゃべりしながら食事をします
ちょっとデイサービスでの食事の感じで、それもリハビリの一環だそうです

最初の日は夕食だけでしたが
三度の食事もそこで取るようになったら

私は、午前中に病院へ行って、いっぱいしゃべって昼食前に帰り
午後からリハビリ見学も兼ねて病院へ来て、おやつを買って行って
一緒に食べたりして、夕食になったら帰るというスタイルに

仕事の都合で夕飯を待たずに帰る時は
仕事が終って来て、寝るまでいたり

あれ?
父の付き添いやってた時仕事どうしてたんだろう?

ああ、夫と交代で帰った時にやってたわ
でも時間変更や曜日変更でいろいろ迷惑かけたな~

食事デビューやリハビリで歩行器を使って、歩く練習が始まったり
まだ病室とリハビリ室だけですけどね

この時は
退院するときは父は歩けるようになって退院するとばかり
思ってたんです、母も夫も私も。。。。

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