笑顔でいるために〜介護の話

自分だけは介護なんてものとは無縁だろうと思っていました
自分の親だけはいつまでも元気で、長生きするんだろうと思っていました

ところが。。。

ただいま、介護まっただ中

大変でしんどくて逃げ出せるものなら今すぐにでも逃げ出したいと思う事も度々
でも、いつかさよならするその時まで、とにかく後悔はしたくない

そんなしっちゃかめっちゃかな日々を綴っています

母の物忘れが気になり出したころ
母自身も、最近よく忘れるわなんて言ってたので

父のことでお世話になっている「ものわすれ外来」に行ってみる?
って、言った事があります

調べて、何でもなかったらそれでいいしと言って行く様に誘いましたが
私は何でもない事はないだろうなとは思っていましたけど

早く受診したら、薬で止められると聞いていました
父はもうそのレベルではなく、今の状態をキープ出来ればいいくらいでした

その時は母もそうだねと言っていたので
早ければ止められるかもと期待していました

ところが「もう予約した?まだだったら行かないわ
最近物忘れなくなってきたから」と拒否されてしまったのです

これって、ほんとに難しい

鬱も持っている母に
「いやいや物忘れしてるよ、気になるから行こうよ」と無理矢理誘って
「え?私認知証かも?」なんてどんどん落ち込まれても困るんですよね

早く行けば止められるってどのタイミング?
ほんとに初期は本人はまだまだしっかりしてるんだよね

そういうときどうやって病院に連れて行くんだろう

風邪かも。。。とか
リハビリついでに整形で。。。とはいかないんですよね

行く先が「脳神経外科」とか「脳神経内科」とかじゃないですか

絶対に、本人は何しに行ってるかわかっちゃう

で、行かないと言った母を前にとりあえず先送りになっちゃったんです

冬に向かって寒くなるので
母は時間があればベットに入る様になり

父の食事の用意だけをテーブルに置いて
自分は食べたくないからとさっさと部屋に入り込む

私も気になりつつ、クリスマスの日に行われる
生徒さん達のピアノ発表会を前に、身動き取れず

買物を一緒に、タクシーで行ってやるのが精一杯だったような気がします

それを知った夫が、出来るだけ一緒に夕飯を食べようと言うので
仕事のない日の夕飯を最初は買って来て、一緒に食べていたのを

総菜ばかりじゃね、と出来るだけ作る様になり

日曜だけじゃね、と夫が先に作ったものを届けて
私は、仕事が終わったら走って母んちへ行く

発表会前の忙しい時も、やれば出来るので

ほんとこれは不思議なんだけど

いっぱいいっぱいで、どこにもそれ以上入らんでしょ
って思うのに、何故か出来るんですよね

その分何かが犠牲になってたんでしょうけどね

夫が気持ちよくやってくれるので、言えませんでしたけど

ほんと、しんどかったです(笑い)

で、私と夫がなんでもやっちゃうので、母はお客さんになってたんですね

足が悪いので歩きづらそうなので、食事の準備も
足が痛くて立ってるのがつらい母のために、後片付けも出来るだけしなくていいようにって

発表会も無事終って、お正月も迎えられて

母がこんなですから、父の薬の飲み忘れが目立って来たり
(母が渡さないと自分では飲めません)
ちょっと認知が進んで来たような気がするのでと、要介護度の区分変更をして

当然母の薬の飲み忘れもあり
もうほんとに一日ベットにいる母がとても気になって

一日に何回も電話して「あれしといてね」「したよ」
「薬を忘れない様にね」「飲んだよ」
「注射した?」「したよ」

でもしてなかったり、飲んでなかったり('A`|||)

で、母に内緒で「物忘れ外来」に予約を入れたんです

なんて言って連れていこうかと悩んでいたら意外とすんなりOKして

やっと、物忘れ外来に連れて行きMRIを撮って
「アルツハイマー型認知症 初期ではありません」 と言われた訳です

2013年 1月中旬でした

長男がつくばへ行って、もうすぐ一年と言う時でした







 

2012年6月

間質性肺炎の治療のためにのびのびになっていた
関節リウマチ治療薬「オレンシア」による点滴治療も始まり

その間にデイサービスも、週に二日ですが行く様になり
(この頃は要支援2でしたので、最大二日しか利用出来ません)

体験では 「もう行かないわ」と不評でしたが
行き出したら、体験の時とは打って変わって元気な顔で

あれを作ったし、これもしたしと報告してくれて

よ~しゃべったわ~
楽しかったけど疲れたわって( *^▽^)
 
なのにデイサービス行き出して一ヶ月後くらいに
全身が痛いわと言ってたのが、だんだん背中が痛いと言いだし

いつも行く整形でレントゲンを撮ったら、背骨に圧迫骨折のあとが 

ただ最近のものか、ずっと以前からのものかは、MRIを撮らないと解らないそうで
押さえて痛みを訴えてる場所が、どうもその辺だと言うことで

取り合えず安静しかないとのことで、痛み止めの座薬と湿布をもらって

しかし、座薬も効かないようで痛みがぜんぜん取れず、食欲もまったくなく
大事な薬飲まないといけないから少しでも食べたら?と言っても

一旦はテーブルにつくのだけれど、痛みだすので
薬飲まなくていい(`□´)って言いはなってベットへ

ベットに寝たままでも食べれる物と菓子パンでも買おうと
夕方スーパーへ再度走ることも

痛みはなかなか取れず辛そうでしたが、お風呂に入りたいと
2回ほどお休みしただけで、デイサービスも再開しました

買物も一緒に行くようになって
デイサービスも楽しそうで、家事も出来る範囲でやるようになって

鬱が進んだのかと心配してたけど、まあ元気になったじゃんって
父もまだこの頃は穏やかで、今の様に声を荒げる事もなく

2人がデイの日は夕食の用意を届けて
2人そろって食べるのを見届けて帰って来ていました

そうそうこの頃は、骨粗鬆症治療薬のフォルテオ(皮下注)も
母が自分でするというので、任せてましたね

そういえば、母んちは毎朝ごはんとお味噌汁で和食だったのに
いつの間にか、たぶん母が入院した頃なのではないかと思いますが
朝はパン食に。

でもまだこのころは果物むいたり、スープを作ったり
母が父の食事の用意をしていたような気がします

秋から冬へと季節が変わる頃です。。。。



 

2012年2月に関節リューマチと言われて
しばらくは飲み薬で治療していましたが

その薬もあまり効かなくて、膝の痛みが良くならず
主治医の先生は、薬の量は年齢や母の状態を考えたら増やしたくないとのことで
点滴で治療をすることになりました

先日も書きました「オレンシア」です

一番最初の点滴治療は 、二泊三日入院してすることになったのですが
大部屋の方が賑やかだと思うのに個室を希望して

当時83歳の母が、たとえ二泊くらいと言っても

このころ、ちょっと物忘れが気になってる上に
真っ白い病室に一人でいるのは心配な面も多く

出来るだけ一緒にいてやりたいと思っていました


入院二日目の「オレンシア」 当日に、酸素が足りないらしく

酸素が足りないと「オレンシア」の治療が出来ないので
正確な数値を知る為にと、足の付け根から採血をしました

その時母が、胸の所を押さえると痛いというのでCT撮って

その結果、間質性肺炎が見つかったので、オレンシアの治療は中止になって
肺炎の治療(ステロイド治療)に切り替えられ、約一ヵ月の入院と

原因は関節リューマチの治療で抗リウマチ薬を飲んでいましたが
それの副作用 だったそうです 

その後オレンシアと、この薬を併用される予定でしたが
使えないので違う薬に変わりました

もし、これが自宅にいる時に見つかっていたら
病院に来る頃には相当進んだ状態らしかったのが

運良くというか、タイミングがよく早く見つかったので
一ヶ月の予定が二週間で退院出来ました 

家には当時、要介護2の父がいましたが、デイサービスを増やしたり
夜は父の所に泊まりに行ったり、夫が食事の買い出しに行ってくれたりで
なんとか乗り切って いましたので

この思いもかけなかった退院に、みんなほっとしたものです

退院してから一週間は、ずっと自宅療養で家から一歩も出なくて
しんどいと、ベットの中にいることが多かった様に思います

この頃から少しずつあれ?っと思う事が 

デイサービスの体験に行った時も表情がなく
話しかけても聞いてないような、心ここにあらず。。。みたいな

夏に息子達が帰って来て、みんなで外食した時も
息子達が気づくほど、母の表情に変化があまりなく

でも、この頃はまだ鬱の薬を飲んでいましたので
鬱がひどくなって来たかなと思うくらいで

認知症の事はあまり考えてなかったと思いますね

いや、実際はどうだったかはわかりませんけど。。。


 


笑顔でいるために~心にゆとりを
 二回目のブログ誕生日〜♪

 

 

今日は母のオレンシア17回目でした

オレンシアは関節リウマチの点滴治療薬です

去年の 6月に1回目を受けて毎月1回(最初の何回かは二週間に1回 )
今回で、一年とちょっと

これがまた時間がかかる

化学療法室「点滴化学療法室」と言う所で点滴をするのですが


まず採血と尿検査をして

検査結果が出るまで、生理食塩水の点滴をしながら
血圧・体温・酸素濃度を測る

検査結果で主治医からOKが出たら
薬剤師さんが無菌室でオレンシアを溶いて作られます

この検査結果が出るまでが、たいてい二時間くらい('A`|||) 


いよいよ「オレンシア」の点滴、500mlで30分くらい

このオレンシアの点滴が始まったら「あ〜もうすぐ終り」って感じで(笑い) 

始まってすぐに血圧と体温・酸素濃度を測って、
15分後にもう一度血圧と体温そして酸素濃度を測られます

点滴中に3回ほど、看護師さんが様子を見に来られます

無事「オレンシア」の点滴が終わり
その後残った生理食塩水を無くなるまで落として

すべて終るまでだいたい3時間くらい 

この前後に主治医の診察が入るので
9時半予約で、病院を出るのは3時前後

今日はこれに加えて、胃カメラとエコーが入って、ちょ〜疲れた 

帰ってから母んちの夕飯を買いがてら
処方箋を病院からFAXしていたので、もらいに行き

どうしても他の日に振り返れなかった生徒さんのレッスをし

母の皮下注射(フォルテオ)をしに行きがてら
ゴミを作り帰って来たら、めまいがして気分が悪くて

しばらくへたばっていました〜  。゜゜(´□`。)°゜。

あ、更年期違うよ〜


もともと夏は弱く、汗をいっぱいかきますが

今年ほど汗をかいた年はないのでは。。。と思うほどぽたぽたで


ちょっとしんどいの、みんなにお裾分け〜(* ̄∇ ̄*)エヘヘ





 


 

去年2012年の4月に長男がつくばへ行ってしまい
その前の年には 次男が結婚して

母はここへ一緒に越して来て、ず〜っとそばにいた息子達が 
2人ともいなくなることに、とても寂しがっていました

と、言っても2人とも成人してからそんなに行き来してた訳ではないんですけどね

たまに用事を頼まれて母んちに行ったり、みんなで外食に行ったり 

でもそばにいるのと、遠くに行っちゃうのと違いますよね

長男はカナダの婚約者もいるので
もしかしたら、いずれカナダに行ってしまうかもしれない

長男の婚約者のTちゃんを、母はとても気に入って
日本で暮らしたらいいのに。。と口癖の様に言います 

母は私が仕事をするために長男の面倒を見てくれていましたし
次男が一才半の時に入院した事があって
その時も長男を預かって見てもらったりしたので

孫の中でも、私の長男のことを一番気にかけていたと思います

長男がいなくなると言う事に、仕方ないとわかってはいても
どこかに受け入れられない部分があったのでしょうね

 
 母は自分が淋しいのに、私に

いいの?長男なのに遠くへやって。。。とか

近くで仕事探す様にいえば。。。とか

長男に親の面倒はどうするのかって説教するわ。。。とか

淋しいけどあの子の人生なんだよ
私たちがいつまでも背負えないんだよ
自分で考えて選んだんだから、絶対に長男には言わないでよ

と、きつく言い聞かせました
だだっ子のような母にちょっと腹も立っていました

でも、いま振り返れば母の物忘れが気になりだしたのは
この頃だったかもしれません

もうちょっと寄り添ってやれば良かったのかな。。。。



 

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